こんばんは。
朝からすき家をキメて、夕飯に銀だこを食べて、休日ガンギマリなひみかです
(デブ飯乙www)
今日のテーマはESGについて。
多分みんな知ってるとは思いますが、一応おさらい。
ということです。なんのこっちゃ。
要は、「環境やら社会に配慮してますか?」という、企業の持続可能性を指標化して、投資に活かそうという試みのようです。
上の引用を読んでも、よく分からないって人は、セクシーだからセクシーな人か、顔が乾いた梅干しに似てる少女に聞いてみましょう。
さて、流れをぶった切ってしまいますが、私はESGというものをほとんど意識したことがありません。
車はリッター8kmのガソリン車ですし、燃えるゴミにプラスチックは混ぜて捨てるし、要らないものはリサイクルで悩むくらいならバンバン捨てます。セレブなので、コンビニでも毎回レジ袋買います。
私の行動には(車選び以外)すべて合理的な理由がありますが、書いても釈明にもならないし面倒くさいし、今後おそらく方向性が変わることもないのでこのままです。
一応保身で言っておきますが、その辺のファッション環境活動家より、よっぽど環境に配慮する行動してると思ってます。
釣り場に行けば他の人の切れたラインや仕掛け袋も拾って帰りますし、キャンプで地面の上で直火することもないですし、ゴミのポイ捨てなんかも一切しません。
要は、ファッションエコロジストや環境活動テロリストが嫌いなんです。
環境に訴えかけるのは良いですが、感情に訴えかけるのは止めて欲しい。
と、少し話が逸れました。
ここらで話題を変えて、今回あげたもう一つのテーマ、田中正造氏。
日本以外での知名度は知りませんが、日本人であれば少なくとも中学生の社会科の範囲に含まれてるので、勉強嫌いな方でなければ一度は目にするか、耳にしたことがあると思います。
教科書に出てくるのは、明治維新下での出来事の一つ。
日本における、公害問題の走りとして名を馳せた、「足尾銅山鉱毒事件」ですね。
少しだけwikipedia引用。
足尾鉱毒事件(wikipediaより)
死ぬまでこの問題に関わり続けた政治家、田中正造。格好良いですね。
セクシーにも、今後同じように関わり続けて欲しいと(本当に)思っています。
で、なんでこの話をしたかというと、私が環境の事について考える時、いつも頭に浮かぶのが、田中氏の言葉だからです。
なお、実際に口にしたわけではなく、氏が晩年に書いた日記からの引用だそうです。
その言葉というのがこちら。
ESGは持続化社会への取組の一環として、環境や社会への取り組みを見返したものでした。
しかし、この言葉の重みは違います。
主語が会社でも、国でも、まして個人ですらありません。
「文明」、それはいわば今を生きる私達の思想、技術、概念、全てを一括にした言葉。
この言葉の前では、我々は病む病まず、貧富、人種等何者にも囚われず、平等と言えます。
そして私がこの言葉を好きな理由として、前半に留まらないこと。
「山を荒さず、川を荒さず」
この部分までは環境活動家なら誰でも言ってますよね。
「村を破らず、人を殺さざるべし」
好きな部分はここ。
田中氏は1800年代から、既にこの思想に達していました。
ちなみに、「ざるべし」は、否定推量。
現代文に訳すと、
「真の文明とは、山を荒らさず、川を荒らさず、
村をかき乱さず、人を殺さないものであるに違いない。」
といった感じでしょうか。
当時からすれば、今の文明が環境を破壊するのは仕方ないと受け入れつつ、いずれ、真の文明の発達により、環境負荷を低減した、産業と環境と共存できる社会になれば良いのになあ、という、夢物語だったのですね。
私が今のESG(環境)問題に疑問を持つのは、前半部分だけが叫ばれ、後半部分が蔑ろになりがちだからです。
本当に持続可能な社会を目指すのであれば、村を破らず、人を殺さないようにあるべきなんです。
これは私の勝手な推論ですが、田中氏がこの言葉を残した当時、「人を殺さない」というのは切実なメッセージであったと思います。
それというのも、環境がダイレクトに人の生死に関わっていた頃だったから。
今は違いますよね。環境で直接死に繋がることは少なくなってます。
今の時代ならではということで、
「未来に生きる人を殺さない(環境的負荷を遺さない)」
「今を生きる人を殺さない(経済的負荷をかけすぎない)」
2つとも達成してこそ、氏の夢見た文明は達成できるかと思います。
私は、100年以上も昔に憧れた夢物語を、いつか実現できると思っています。
だからこそ、原油の消費量は減らしつつ、より環境負荷の低い天然ガス事業を、代替案かつ折衷案として、推し進めていくべきです。
要はそれが言いたかっただけです☆
時代は天然ガスや!
油なんていらんかったんや!!!!!
ひみかのかぶか。では、天然ガスパイプライン企業のONEOKを応援しています
真の文明は山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし。
朝からすき家をキメて、夕飯に銀だこを食べて、休日ガンギマリなひみかです
今日のテーマはESGについて。
多分みんな知ってるとは思いますが、一応おさらい。
ESGとは、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の頭文字を取ったものです。(中略)ESG投資は、他にも「責任投資(Responsible Investment)」「持続可能な投資(Sustainable Investment)」など様々な呼称がありますが、意味は同じです。
ということです。
要は、「環境やら社会に配慮してますか?」という、企業の持続可能性を指標化して、投資に活かそうという試みのようです。
上の引用を読んでも、よく分からないって人は、セクシーだからセクシーな人か、顔が乾いた梅干しに似てる少女に聞いてみましょう。
さて、流れをぶった切ってしまいますが、私はESGというものをほとんど意識したことがありません。
車はリッター8kmのガソリン車ですし、燃えるゴミにプラスチックは混ぜて捨てるし、要らないものはリサイクルで悩むくらいならバンバン捨てます。セレブなので、コンビニでも毎回レジ袋買います。
私の行動には(車選び以外)すべて合理的な理由がありますが、書いても釈明にもならないし
一応保身で言っておきますが、その辺のファッション環境活動家より、よっぽど環境に配慮する行動してると思ってます。
釣り場に行けば他の人の切れたラインや仕掛け袋も拾って帰りますし、キャンプで地面の上で直火することもないですし、ゴミのポイ捨てなんかも一切しません。
要は、ファッションエコロジストや環境活動テロリストが嫌いなんです。
環境に訴えかけるのは良いですが、感情に訴えかけるのは止めて欲しい。
と、少し話が逸れました。
ここらで話題を変えて、今回あげたもう一つのテーマ、田中正造氏。
日本以外での知名度は知りませんが、日本人であれば少なくとも中学生の社会科の範囲に含まれてるので、勉強嫌いな方でなければ一度は目にするか、耳にしたことがあると思います。
教科書に出てくるのは、明治維新下での出来事の一つ。
日本における、公害問題の走りとして名を馳せた、「足尾銅山鉱毒事件」ですね。
少しだけwikipedia引用。
足尾鉱毒事件(wikipediaより)
佐野出身の衆議院議員田中正造は1891年以降、たびたび国会で鉱毒の質問を行い、鉱毒の害は全国に知れ渡った。(中略)鉱毒反対運動は、谷中村の廃村や、渡良瀬川の大工事による洪水の減少などにより次第に弱まり、特に1902年以降、足利郡、梁田郡、安蘇郡、下都賀郡、邑楽郡の鉱毒被害地が豊作になると弱体化した。さらに運動の中心人物であった田中正造が1913年に没するとほぼ消滅した。しかし、群馬県山田郡の鉱毒被害は止まず、この地区ではこの後も鉱毒反対運動が続いた。
死ぬまでこの問題に関わり続けた政治家、田中正造。格好良いですね。
セクシーにも、今後同じように関わり続けて欲しいと(本当に)思っています。
で、なんでこの話をしたかというと、私が環境の事について考える時、いつも頭に浮かぶのが、田中氏の言葉だからです。
なお、実際に口にしたわけではなく、氏が晩年に書いた日記からの引用だそうです。
その言葉というのがこちら。
真の文明ハ山を荒さず、川を荒さず、
村を破らず、人を殺さゞるべし。
村を破らず、人を殺さゞるべし。
真の文明は山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし。
ESGは持続化社会への取組の一環として、環境や社会への取り組みを見返したものでした。
しかし、この言葉の重みは違います。
主語が会社でも、国でも、まして個人ですらありません。
「文明」、それはいわば今を生きる私達の思想、技術、概念、全てを一括にした言葉。
この言葉の前では、我々は病む病まず、貧富、人種等何者にも囚われず、平等と言えます。
そして私がこの言葉を好きな理由として、前半に留まらないこと。
「山を荒さず、川を荒さず」
この部分までは環境活動家なら誰でも言ってますよね。
「村を破らず、人を殺さざるべし」
好きな部分はここ。
田中氏は1800年代から、既にこの思想に達していました。
ちなみに、「ざるべし」は、否定推量。
現代文に訳すと、
「真の文明とは、山を荒らさず、川を荒らさず、
村をかき乱さず、人を殺さないものであるに違いない。」
といった感じでしょうか。
当時からすれば、今の文明が環境を破壊するのは仕方ないと受け入れつつ、いずれ、真の文明の発達により、環境負荷を低減した、産業と環境と共存できる社会になれば良いのになあ、という、夢物語だったのですね。
私が今のESG(環境)問題に疑問を持つのは、前半部分だけが叫ばれ、後半部分が蔑ろになりがちだからです。
本当に持続可能な社会を目指すのであれば、村を破らず、人を殺さないようにあるべきなんです。
これは私の勝手な推論ですが、田中氏がこの言葉を残した当時、「人を殺さない」というのは切実なメッセージであったと思います。
それというのも、環境がダイレクトに人の生死に関わっていた頃だったから。
今は違いますよね。環境で直接死に繋がることは少なくなってます。
今の時代ならではということで、
「未来に生きる人を殺さない(環境的負荷を遺さない)」
「今を生きる人を殺さない(経済的負荷をかけすぎない)」
2つとも達成してこそ、氏の夢見た文明は達成できるかと思います。
私は、100年以上も昔に憧れた夢物語を、いつか実現できると思っています。
だからこそ、原油の消費量は減らしつつ、より環境負荷の低い天然ガス事業を、代替案かつ折衷案として、推し進めていくべきです。
要はそれが言いたかっただけです☆
時代は天然ガスや!
油なんていらんかったんや!!!!!
ひみかのかぶか。では、天然ガスパイプライン企業のONEOKを応援しています
真の文明は山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし。